古墳公園Ancient tomb Palk

胸形君一族の墳墓群――津屋崎古墳群

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津屋崎古墳群とは?

 玄界灘に面した福津市北部に広がる丘陵及び台地上には、宗像地域を治めていた地方豪族(ごうぞく)胸形君一族が築いた大型古墳が、南北8km、東西2kmの範囲に集中して分布します。古墳群は、勝浦髙原(かつうらたかはら)古墳群、勝浦古墳群、新原・奴山(しんばる・ぬやま)古墳群、生家大塚(ゆくえおおつか)古墳、大石岡ノ谷(おおいしおかのたに)古墳群、須多田(すだた)古墳群、宮司(みやじ)古墳群、手光湯ノ浦(てびかゆのうら)古墳群、手光波切不動(てびかなみきりふどう)古墳から構成されており、前方後円墳が16基、円墳が43基、方墳1基の総数60基が現存しています。これらを総称して「津屋崎古墳群」と呼んでいます。
 古墳群を造った胸形君は、宗像地域を本拠地として海人たちを束ねた豪族と考えられます。航海技術に長けたであろう胸形君一族は、ヤマト王権が海を介して行った中国大陸・朝鮮半島との対外交渉において、航路の水先案内、船舶等の提供を行っていたと考えられます。また、玄界灘に浮かぶ孤島「沖ノ島」で行われていた、航海の安全と対外交渉の成就を祈る国家的規模の祭祀に関わり、中央政権と密接な関係をもつ地方豪族として繁栄しました。

新原・奴山古墳群を上空より筑前大島を望む

『広報ふくつ』特集記事 2012年1月号(2,980KB)

 


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